農園のご案内

代表略歴

大学卒業後、電子式卓上計算機メーカーである栄光ビジネスマシン株式会社に入社し、生産管理及び社内システムを学んだ。同社を退社後、28歳で株式会社テスコを設立、同時にバーコードリーダーの開発に着手した。
設立16年間で株式会社テスコを年商25億のメーカーに育て上げ、バーコードリーダー業界のリーディングカンパニーに仕上げ、株式会社オプトエレクトロニクスに移籍、同社では株式公開を視野に入れた社内管理体制、売上及び財務管理の設備強化を経て資本政策を実施、7年間で年商75億のメーカーに育て上げた。同社の株式公開準備が完成されたため、同社を円満退社する。2002年4月、長年の経営管理の経験及び豊富な人脈を活かし株式会社アイピーオーを設立。2013年9月、株式会社エルテクノ代表取締役就任。
2013年よりアグリビジネスに邁進。
2015年10月天神農園設立。

安心と安全

化学肥料や農薬を一切使わず自社農場にて、大切に育てています。
安心と安全
安心と安全

ヒストリー

天神農園の由来
天神農園の由来は、内田家の祖先である内田周斎が久城の天神様と呼ばれていたことに起因します。
天神農園の園主である内田保雄は、新しい農業により、食を通じて健康を提案し、栽培から製造までをコンセプトに日本人に適した安心で安全な食の提供を目指しています。
学問を広めた周斎の志しを受け継ぎ、人に優しく、より良いモノをより良いカタチで……。
その精神を基本理念に、運営されているのが天神農園なのです。
天神農園の由来
内田周斎とは
内田周斎は、天明4年(1784年) 上久城(現在の賀美郡七本木(上里町七本木))の名主である内田家に生まれました通称は三右衛門、名は偵(てい)、学名は元寧(げんねい)・元茂、俳名を奮雨(きゅうう)、似雪亭(じせってい) ともいいました。
独学で数千巻の書を読破し、太田錦城に学び郷里に塾を開いたと言われています。著書に「左傳集説辯義(さでんしゅうべんぎ)」「論語集説辯正抄(ろんごしゅうせつべんぎ)」があります。
内田周斎
内田周斎の歩み
内田周斎は十六歳の春、江戸に出て儒学者塚田多門 を訪れて入門を請いましたが、意を果たせませんでした。そこで、日本橋 豪嵩山坊書院 (こうざんぼう しょいん)を訪れ、持って行ったお金を預け、書物を半年から一年で返却することを条件に、売値の二割引にて買うことを約束。 久城に帰り、送られてくる数千巻の書を読み、多くを学んだと言われます。
その後、加賀候の儒臣 太田錦城が関東を遊歴中、本庄宿の南本陣に止泊の際 、近隣の有志のために経書の講義があり、周斎もそれを聴講し、意味がはっきりしない箇所や、疑わしい事柄を正すことができたと言われています。
それ以後、自宅で近所の子供たちを集めて寺小屋を開き、読み書き・そろばん ・四書五経を教授しました。教え方が解りやすく、親切だったことが評判になり、久城だけでなく本庄市、新町(高崎市)、藤岡市へも月三日の巡講をしたほどでした。村人から周斎は「久城の天神様」と呼ばれ今日の天神農園の由来となっています。
周斎は、文政13年3月13日(1830年)46歳の若さで亡くなりました。法名は「一翁道貫居士(いちおうどうかんこじ)」。天保14年(1843年)門人たちにより、内田家の墓地に墓碑が建てられ現在も残っています。
内田周斎の歩み

農園概要

埼玉県上里町にある天神農園では、青汁、ソフトスチーム加工野菜、苺ジャム、苺コンフィチュールを販売しております。
国産、無添加、無着色、自然のものを自然な形に近いままで加工しております。

屋 号 天神農園
所 在 地 〒369-0307
埼玉県児玉郡上里町大字嘉美1533番
TEL 0120-777-387
FAX 048-859-7318
設 立 2015年10月
代 表 者 内田 保雄

アクセス

電車:JR神保原駅、本庄駅よりタクシーで10分、上越・長野新幹線本庄早稲田駅よりタクシーで5分。
お車:関越自動車道 本庄児玉ICより5分

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